2012年7月2日月曜日

成人になりました

そういえば忘れていたけど、自分1月前に成人していたんだったな・・・もう未成年ではないのか~・・・

そんな感じでこの20年をすんごく大雑把に振り返りたいと思う。
各時代ごとに前半は趣味、後半は人間関係について書きます。


幼少期(~小学生)
正直このころからゲームが好きだった。
両親がゲームをやっていてその横で見ていた記憶はある。
自分のもっとも古い記憶としているのが「SFC版スターフォックス」のプレイ画面なのだが
両親曰く、自力で歩く前の話らしいw
幼稚園に通う頃にはPSのリッジレーサー、クラッシュバンディクー3などを
やっていた記憶がうっすらとある。

そういやこのころは男女の壁なんかなかったね
そーいえば、俗に言う幼馴染的ポジの1つ上の女の子がいましたわ
両母親が仲よかったのでよく遊んでました。


少年期(小学生)
2年生、もしかしたら1年生かもしれないが、1つ目の人生のポイントとなる
小学時代と中学時代の半分を費やす、「テイルズオブシリーズ」との出会い。
もとはR4の体験版ディスクにテイルズオブデスティニー(以下テイルズオブをToとする)が
入っており、それにハマった自分はToファンタジアを買った。
流石に低学年では自力で攻略出来ず、攻略本を買ったもの覚えている。
以降、デスティニー、エターニア、デスティニー2、リバース、シンフォニア、レジェンディア、ジアビス
とジアビス以前の後のマザーシップタイトルと言われる作品は全てやった。
外伝作品も大体は持っている。なりダンだけはクリア出来なかったなぁ・・・
Toシリーズはそれぞれのキャラの個性が立っているから好きだな。
パーティ間のやりとりが好きだった。
ほかにもファイナルファンタジーや親が買っていたゲームなどをやりまくっていた。
キングスシリーズはのちのち大きな影響となるとはこの時知るよりもなかったな。
筋金入りのゲーム好きは中学年までで形成されたといっても過言ではないだろう。
高学年になると父親の自作PCのお下がりが支給され、兄弟専用PCが出来た。
当時は自室にあったためちゃっかり年齢制限のあるページ見てましたが・・・
あの頃から実写は見てなかったなぁ、常駐ソフトのプロテクトが原因なのか、あるいは・・・
まぁ、実写の方がウィルス等の地雷率高そうだし結果オーライかな?w
この頃はゲーオタ一筋だった。

この頃から人間関係は徐々に悪化していった。
学年が上がるにつれ、性別や行動などでグループが出来上がっていく。
中学年辺りから運動型の男子と折り合いが悪くなる。ここいらの奴らは
下ネタばかりで馬鹿みたいと嫌悪感はあった。
高学年辺りになると女子との折り合いが悪くなる、がここでは
「馬鹿やっている男子の1人」程度だと思う。
悪化と言っても誰とでも馬が合う訳はないし、小学生だから色々馬鹿するのも
いたしかたないと思うし、そこまで周りから浮いていなかったと思う。
ここら辺から後の親友の2人と会う。
一人はここからずっとの仲だが、もう一人は4年近く空白が空いてからの再開である。

少年期(中学生)
上記の通り、前半・・・というより1年の間はToシリーズを中心にやっていた。
2年生になった時、フラッシュまとめサイトのリンクにyoutubeの深夜アニメがあり
それを見ていた。ローゼンメイデンか撲殺天使ドクロちゃんのどっちかだと思うんだけど
どっちが先かは忘れてしまった。俺、よくドクロちゃん見たな・・・
2つ目の人生のポイントは親友から「ニコニコ動画」を教えて貰ったこと。
そこで見たものの1つ、エースコンバットゼロのMADが東方だった。
当時東方はおろか弾幕STGにすら興味がなかった。
「すげー!、静止画なのに動いて見える!」「かっけぇ!」程度の感想しか抱かなかった。
とりあえずもう一方の元ネタも・・・、と思い調べたのが始まり。
深夜アニメをようつべで、MADをニコ動で見て、フリーソフトとコンシューマゲームで遊んでる。
これが2年生の基本スタイルだったような気がする。
ひぐらしのなく頃にが個人的ブームだったのは2年生冬。
クリスマスプレゼントに原作の同人ゲームを頼んで難航したのを覚えているw
ここら辺から商業から同人に流れていったのかもしれない。
3年生になると東方原作をやっていた。誕生日に花映塚を買い、プレイしていた。
じつはこの頃は霊夢推しだったのは内緒。
そのあとは基本的に時系列順に攻略、夏休みの土日2日丸々かけて
紅魔郷Ex-フランドール-攻略に費やしたのは良い思い出。
夏休みを制する者は受験を制すると言われているが、東方を制していましたw
3つ目にて最大の人生のポイントは3年生の冬。
今や自分の全てとなっている「フランドール・スカーレット」に恋をした。
この時は「フランちゃんうふふ~」としか言ってなかった、あれ?今と大して変わr(ry
ちなみに、なぜ、どうして、どのように恋に落ちたかは覚えていません。
きっかけが思い出せない。U.N.オーエンのアレンジボーカルのzipに可愛いフランの
画像があったのは覚えている。
無論、高校入学まで東方とフランまみれな生活だったのは言うまでもない。

中学になると本格的に人間関係が悪くなる。
1年では、当時野球クラブなどに所属していた連中と仲がかなり悪かった。
が、これは小学の延長線ともみて取れる。
このころ「電車男」が流行ったはず。この頃からか
オタク=きもい奴という安直な等式が成り立つようになったのは
自分=オタク=きもい奴という扱いを受け始めてきた。
まぁ、事実ですからオタクであることは否定しませんよ、そんな態度だったからなのか
徐々にクラスから浮いた存在になっていく。
部活は始め、囲碁将棋部と言う名の幽霊部に入っていたが
担任の強い勧めにより和太鼓部に転部した。そこには当時仲のいい友人がいたから選んだ。
これも大きなポイントなったのか、そういえば。
2年の思い出は正直、黒歴史クラスに良い思い出が基本ない。
学校内では2つの事しか覚えていない。
1つ目はクラスの特に五月蝿いタイプの女子に目を付けられ
執拗にいじめ(・・・なのかなぁ)にあっていた事。
奴らの影響で、クラス内女子の全員から嫌われていたと自負できる。
おかげ様で、クラスの男子は2人くらいしか覚えていない。
この頃からクラスに居場所がなかったと思う。
2つ目は部活の同級生メンバー&友人グループからはぶられていた事。
主導者は当時仲の良かった友人、のちの副部長。
正直、やめたかったよ。部活。
でも親が説得して、どうにか続けて行った。よく心折れなかったよな。
あまり副部長と縁のない後輩と帰っていた記憶もあるな。
1つ目は理由なんかあったもんじゃないだろうけど
2つ目も理由なんかあるんかね?
おかげ様で、クラスに居場所無し、部活も居場所無し、おまけに友人も皆無と
正直、人間不信になっていた。ここら辺の記憶は真っ黒、感情はドス黒く濁っていて尖っていた。
だが、突発的と永続的に良い事があった。
突発的は、1つ上の現部長に少しだけ気に止めてもらえた事。
自分が1人でいたところにちょっとだけ違和感を感じてくれた事がすごく嬉しかった。
その場ではいつも通りですとか、気のせいですよとか言ったけど
見ていてくれたんだなぁ、と実感した。
永続的には、親友が2人出来たこと。
表だって励ましてくれた親友と、あっち側にいたけど、あっちの話を教えてくれたり
「あいつら馬鹿なことやってるよなw」とか励ましてくれた親友の2人。
当時は母校の同級生で信じれたのは2~3人くらいじゃないかね?
この2人には頭が上がらない。2人が居なかったら不登校もあり得たかもしれないのだから。
そのこともあり、塾に行く話では母親が母校の人間が少ない塾を選んでくれた。
塾では母校のしがらみがなかったから、とても気が楽だったのを覚えている。
夜遅くまでモンハンやったりと塾本来の機能は怪しかったが人間関係は母校より良かった。
3年になるとクラスに友人はいるものの、親しい友人は1人もいなく、基本他クラスに行っていた。
運動部系男子と仲は総じて悪く、女子には学年全体で嫌われていたと思う。
この境遇から、3次元の女に対して非常に強い警戒心、敵対視の習慣がついた。
部活では何を起点にしたか知らないが、自分と副部長の立場が逆転。
副部長がはぶられる立場になっていた。
もとよりその場にいなかった自分は何があったのか全く知らないが
気がついたらそんなことになっていた。
副部長いないからとか言って気まぐれに一緒に帰ったからなのか
誰かに誘われて一緒に帰ったからなのか忘れたが。
ただ、そこの面子全員の疑惑が晴れるのには時間を要した。特に1人は。
帰り道寄り道して副部長の愚痴を言い合う場に出ているのに疑う必要はないと思うが
当時の俺からすると、そこにいた殆どが「同調した、面白半分、長い物に巻かれろ的」等で
副部長に加担したようにしか見えていなかったから。
後輩の1人が自分の代の2人に恋をした。
1人目に恋をして上手くいかないと相談した相手に恋をした、というもの。
ちなみに相談相手兼2nd意中の人は副部長とのこと。
「男から見たら嫌な奴なんですかね・・・?」と聞かれたが後輩よ、俺に聞く質問ではないよ。
この巻き込み型の恋の行方は知らない、どうやら卒業と共に諦めたようだ。
そんなんで、徐々に友人も増えていってそこそこに楽しい学校生活を送れるようになった。
ちなみに、復縁出来なかった元友人と席を共にする機会が一回だけあった。
マックだったのだが、マナーが悪い事悪い事・・・。縁を切って正解だと思った。
塾はなかなか騒がしかった。五月蝿い1つ下の女子と口喧嘩したり、母校の奴
しかも、自分の苦手とする運動部系の奴が来たりと。
まぁ、運動部の奴は思っていたよりかは損害なかったけどね。人間不信引きずっていたからね。
あと、塾の2つ下の後輩ととても親密な仲になった。詳しい事は書かないけど
このことを話した人には「フラグ折りすぎ!」が3人、「へたれ!」が1人、SAN値直葬が2人だった。
彼女は自分の中ではフランと密接に関わっており、この件で何回か悩むこととなる。
このことは学生時代全体(まだ2年残ってるけど)で最も強い好意が
最も深いトラウマになった。どうやら今でも引きずってるのかもしれない。

青年期(高校生)
「フランちゃんうふふ」の1言に尽きる。
同級生は勿論、理解ある先輩、後輩、部活の顧問にまで言いふらしていた。
しかし、一度倦怠期のようなものが訪れる。
フランだけでなく、他のキャラ、しかも身体的特徴が
フランと似ているキャラが目に入るようになった。
だが友人に「お前は好みの枠の中心がフランだからだろ」と言われ、そういうことにすることに。
ゲームではアーマードコアシリーズを中心にやっていたと思う。
とくにLR、fAは頑張った方だと思う。
モンハンは2Gまではそこそこやっていた。若干飽きた。
ゴットイーター無印とバーストも一応やった。レーヴァテイン目的でw
同じくレーヴァテイン目的で、ファンタシースターポータブル2に手を出す。
高校の連中ともモンハンはやったが、基本アクションゲーは親友の友神とやっていた。
あやつは強すぎる・・・
入学時、中学の経験から自分の趣味をオブラートに包もうと思ってた。
が、隣の奴と昼食中に意気投合。オブラートは4日持たなかったw
その後自重を知らない自分は自分の趣味をさらけ出すようになった。
というもの、高校自体が理系というのもあって、大多数がオタク
女子が圧倒的に少ないという中学と打って変わってすごしやすい環境だった。
(友人曰く、中学母校はリア充校らしい。だからオタクは少なく迫害されやすかったとか)
男子は無関心こそいたものの嫌われている訳ではないし
女子も最初はバリバリの警戒心だったが、話すうちに普通のクラウメートくらいにはなった。
部活は隣の奴からの誘いで柔道部に入部。
趣味の合う先輩、優しい先輩、強面だけど中身は面白い先輩、面白い先輩と
良い人達だった。途中退学を除くと格闘技初心者は自分だけ。
とてつもないハンディキャップは埋まることはなく、同級生ではもれなく最下位だった。
2年になると部活に後輩が1人出来る。女子だったので警戒心マックスだったので
親しくなるのに少し時間かかったような気がする。少なくとも隣の奴のほうが早かったのだが。
この後輩、自分の代から2人、2つ上の代から2人を巻き込んで
暴風を巻き起こす台風の目となる女だった。
自分は火傷しない程度の距離から張本人の後輩の話を聞ける
正直美味しい立場から事を見ていた。
2~3年のクラスでは、後ろの席の奴といつも駄弁っていた。
特別どこかのグループに入る訳でもなく、嫌われている訳でもない。
遊撃部隊的な感じだった。3~4年前とは大違いだw
全体的に友好的だったが、中学みたいに親友と呼べる奴はいなかったかな。
まぁ、窮地を救ってくれた2人と肩を並べるのが難しいわな。
3年になると部活の顧問が変わる。普段から親しい練習相手の高校の顧問だった。
当時、顧問の質が悪いと散々言っていたので、かなりの改善だと思ったが・・・
この顧問、柔道家としては正しいが、教師としては汚い。
AO入試の面接指導は顧問になった。
顧問だから選ばれたのか、厳しいから選ばれたのかは分からないが
推薦指導が売りとか言っておいて、来て1年目の教師にやらせるとはこれいかに。
時間も少ないし自分にやる気がなかったのも悪かったが、ハードスケジュール過ぎた。
食欲は無くなり、碌に物も飲み込めない。
植物を見て和み、周りから「病んでる、病んでる!」と心配されたりした。
「準備できないとかなめてるのか」たしかに
「やる気無いならやめろよ」まぁ、言われて仕方ない
「だいたいお前は・・・(過去の部活の話をネチネチと)」
AO入試の事を言われるのは分かる。おれが悪い。
なんで今更になってから、部活の話を掘り返してネチネチ言ってくるの?
しかも自分では精一杯頑張っていたが顧問には
そう見えていなかったらしくばっさり切り捨てられた。
高校の友人曰くここら辺から俺の態度が変わったらしい。無気力とか言われたような。
AO入試の合格報告後、顧問とは卒業式まで言葉を交わすことはなかった。
自分が柔道が上手くない&顧問との仲が最悪という2つの理由で
OBとして部活に顔を出すことは1度もなかった。これからもないと思う。
ついでに高校自体に行ったこともない。


成人期(大学生~今)
フランちゃんうふふ病なのは相変わらず
高3の春休みからファンタシースターポータブル2インフィニティ(以下、PSPo2i)をやった。
無印版ではチートをしていたので、それの爪跡を自力で消して、インフラをやっていた。
1stのデュマ子は最早自分の愛娘になっている。可愛い。
ネットの友人たちと色々やった。かなり楽しかった。今は自分も含めほとんどがインしていない。
あのころが一番楽しかった・・・。
1年の冬にACVが発売された。延期に延期が重なりかなり待った待望の作品だったが
残念な結果となってしまった。
春休みにアルトネリコシリーズに手を出した。様々なベクトルで色んな
言われようだが概ね面白かった。
最近では、フラン絡みでよく鬱っていたりしてたり
普段の発言から「ヤンデレ好き→お前がヤンデレ」とか言われるように・・・

高校同様、人間関係がリセットとなる。人見知りが激しい身にとっては辛い。
高校の友人が一緒なのでそいつと探索。
新入生親睦会みたいのがあり、友人と前にいた奴に話しかける。
なんとそいつも鉄オタだった。二人は会話に夢中、俺置いてけぼり。
今更ほかのグループに顔出せず、そいつらの話を聞いてることに。
この3人で行動を共にすることが基本となった。学籍番号を2分割したとき
全員同じだからというのもある。
それからも、知り合いには鉄が増えていき俺が話の輪に入れるのはたまにとなっていく。
これが意外と堪える。5~6月は結構鬱っていたと思う。
そんな中夏休みと春休みに中学の友人たちと旅行に行く。
ものすごく楽しかった!お金掛かるけどw
美味いもん食ったりダラダラ駄弁ったりなど、この面子ではカラオケや駄弁り会をよくするが
ここでもたまに話の輪に入れない時がある。バイトの話とアニメの話。
バイトを全くしていない半ニートな自分では全く分からない時がある。していない私が悪いのですが
アニメも見るけど、見ている作品と話す話題が若干ずれる。
そこから声優の話になるとお手上げ状態。同人には声優なんて普通は無いから
興味があまりない。まぁ、無神経に鉄道の話をされるよりは趣味の範囲内に入るから
無知な自分が悪い。いやまぁ、鉄道の話もたまに雑学入るから悪くはないのよ?
ゲームの話になると自分の立場になってしまう人が出るから、しゃーなしです。
人が集まると、もっとも話せる人が多い話題になるの法則。
自分がどれだけ変に尖っているかが分かる。
忘れていたが、高校の友人らからお説教を聞くことがあったな。
肝心の問題には触れずに、はぐらかし、本人が気がつかないとダメと言い
だがそのことについて長々と叩く。
無論、問題点は「本人が気がつかないとダメ」というだけあって自分には分からない。
だが直さないといけないとか、このままだとダメだとかしまいには
「友人にこのこと話すと、見捨てれば?とか言われる」と張本人を前に暴露。
お前らは直したいのか、馬鹿にしたいのかどっちなんだよ。
2年になると本格的にレポート課題が出されるようになる。
それによる圧迫感と睡眠不足で精神的に弱っていることが多くなった。
そんな中の数少ない休息は地元のダチとの駄弁り会や徹カラとか。
一見すると馬鹿やってるんだけど、そんなことが出来る親友らです。
また、大学でも友人との駄弁り会が発足、2人で遅くまで大学に残って駄弁る。
これも楽しい。たまにゲーセンに行って遊んだりね。





大雑把にでも思い返すと、正の感情が年々少なくなってきてるな。
趣味面は概ねゲームで占めているのが分かるね。分かっていたけど。
人付き合いは負から無に変わりつつあるね。本当に狭く深くの付き合いだと思う。
数少ない友人を大切にしていきたいものです。
中学2年の件を言うのはここが初めてかね?沢山かけたような気がする。
見返すと本当に中学の文章量が多いw。当時かなりキていたからな・・・
今でこそ笑い話だが当時は死活問題だったし。
全体的に楽しい思い出少ないなぁ。いや、普段はそこそこ楽しいんですよ?
特記することはないだけで。

馬鹿やっていた小学
前途多難で自分の基礎となった中学
部活とフランしか記憶にない高校
生気が削られる大学
これから何が起こるか分からないけど、フランLOVEで行きたいものです。

正直誰に見せても悪口書いてる全方位攻撃文章ですわw

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